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2012年01月14日

琉球王朝時代に壺屋焼に統合されていない焼物は?

琉球王朝が各地に点在していた窯を統合して壺屋焼が誕生しました。次の中で統合されていないのは?



     A:読谷焼

     B:湧田焼

     C:知花焼

     D:宝口焼



  

【答えと解説】
沖縄陶器のルーツは壺屋焼にあるとされ、17世紀に琉球王朝が各地に点在していた窯を統合して壺屋の地に移し発展してきました。これが壺屋焼の始まりで、現在の沖縄陶器の源流とされています。

そこで壺屋の地に集められたのが、湧田焼、知花焼、宝口焼などで、各地に点在していた窯場を集め、焼物の里をつくったことに始まるといわれています。

しかし1970年代に入ると、薪を燃やしつづけなければならない登り窯から生じる黒煙による害のため、市街地での登り窯の使用が出来なくなってしまいます。

そこで職人たちは、壺屋を出て窯を読谷に移し、登り窯による焼物の製作を続けました。現在、読谷村は焼物の一大産地として知られています。




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Posted by おもろ at 12:19│Comments(1)伝統・風習
この記事へのコメント
> A:読谷焼

読谷山焼が正解の様に思いますがいかがでしょうか。壺屋焼系統の窯は読谷壺屋焼と謳っていますね。

後からきた住宅街に登り窯が追い出されたのは不条理に感じますが、当時の陶工たちはガス窯で OK と思っていたみたいですね。

僕は登り窯が好きですけども。
Posted by ohtk at 2014年01月16日 19:18
 
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